2015.03.09

三陸育ちの塩銀鮭

これからも宮城の銀鮭を
お届けしたい。
産地が思いを一つに作る
塩銀鮭です

これからも宮城の銀鮭をお届けしたい。産地が思いを一つに作る塩銀鮭です

東日本大震災から4年。被災地の復旧・復興は進んでいるものの、まだまだ完全となるにはほど遠い状況です。コープネットはこれからも、震災を乗り越えようと立ち上がり、製造に励むメーカーの皆さんを応援していきます。

今回は、「三陸育ちの塩銀鮭(甘口)」の原料となる銀鮭を養殖する
ニチモウ(株)(東京都品川区)の生産者と、
加工をしている(株)スイシン(宮城県石巻市)をご紹介します。

宮城県石巻市

雄勝町の生け簀、女川町の生け簀

銀鮭の養殖生け簀 ニチモウ(株)

東京都品川区に本社を置く水産会社。宮城県内の生産者と協力して銀鮭の養殖に取り組んでいます。震災では出荷目前の銀鮭も生け簀もすべて流されましたが、早々に復旧。内陸で生き残ることができた稚魚を使い銀鮭の養殖を再開しました。

(株)スイシン

宮城県石巻市の水産メーカーで、コープとは30年以上のお付き合いがあります。震災によって加工場が全壊しましたが、同じ場所に新工場を建て直し、約1年半後に稼働。最新鋭の加工設備と培ってきたノウハウを駆使して加工を行っています。

銀鮭生産者 千葉拓実さん。父親の昭博さんと拓実さん(右)

震災を機に本格的に養殖業へ

もともと父の養殖業を継ぐ予定で水産高校を卒業し、震災当時は近所の水産加工場で働いていました。津波で加工場も流されてしまい、実家に戻りました。そして、父と一緒に「おいしい銀鮭が宮城県にはある。絶対に養殖を再開するんだ」という一念で、来る日も来る日も生け簀(す)のある浜のがれきの撤去を続け、同年11月から再開できました。学校で習ったことと実践では勝手が違うことも多く、そんな中で父の勤勉な仕事ぶりがまぶしく見えます。少しでも近づきたいですね。

養殖を続け地元を盛り上げたい

父と二人三脚でやってきて、被災から今年で4回目の水揚げです。最近はえさにする魚粉がどんどん値上がりして大変ですが、えさやりの方法など試行錯誤しています。私たちを入れて6軒あるニチモウの銀鮭生産者仲間で「銀鮭会」を結成し、おいしくて品質の良い銀鮭が育つよう、定期的に情報交換をしています。この地を盛り上げるためにも、皆と力を合わせずっと養殖を続けていきたいです。

えさやりも2人で一緒に

えさやりも2人で一緒に

(株)スイシン 代表取締役 社長 横山隆さん

被災に負けず最新の設備を揃えた
新工場で加工

震災直後は、社員と一緒に手作業でがれき処理に明け暮れる日々でした。新工場は更地から建て直し、最新の設備を整えました。冷凍設備もその一つで「この切り身、本当に冷凍魚なの?」と驚かれるほど、生の鮮度そのままに加工できるんですよ。ニチモウさんから届いた生銀鮭は、頭取りから三枚おろしまでほとんどオートメーション化していますが、切り身にするのは繊細な作業のため、ベテランの手作業も入れて丁寧に行っています。

地元の絆から生まれた塩銀鮭

ニチモウさんとは震災前からのお付き合い。銀鮭のお取り引きは震災後、いち早く養殖を復旧させた原料と弊社の最新技術で、宮城県の力を合わせた商品を届けようと始まりました。いつも鮮度が良く品質が安定した原料なので、安心して加工できます。地元の絆で作る商品を、組合員の皆さんに食べてもらえるのは何よりうれしいです。

パック詰めまで鮮度を保てるよう加工

パック詰めまで鮮度を保てるよう加工

パック詰めまで鮮度を保てるよう加工

潮の流れが良く栄養分の豊富な三陸の海で育てられた銀鮭を、水揚げ後そのまま加工場へ。当日加工で鮮度を保ち、シンプルに塩だけで味付けしました。素材の味わいと身の自然な色合いがいきています。

三陸育ちの塩銀鮭(甘口)240g(4切)

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